遍路 ハト坊

お遍路さん松山編
"地元民が松山をご案内します"

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松山市内の札所を地元の私たちが紹介して参ります。
今回、取材にご協力頂いた御住職様からの「ここだけの貴重なメッセージ」もございます。

松山,お遍路

  四国八十八ヶ所霊場、愛媛県内には26の札所があり、そのうち松山市内には8つの札所がございます。第46番札所「浄瑠璃寺」から第53番札所「圓明寺」まで、距離にして約30kmの巡礼です。
  地元でありながら「お遍路」のことは余り知らなかった私たちが、松山を訪れるお遍路さんのことを思いながら歩き、走り・・・時には御住職様に叱られながら取材させて頂きました。その中でもお遍路さんとの出会いが幾つもあり、貴重なご意見を聞かせて頂く機会にも恵まれたことに深く感謝しています。
  一人でも多くの皆様に松山を訪れて頂ければ幸いです。


「お遍路はいつから始まったの?」

  お遍路は古くは「辺地」と言われ修行のため、四国の海岸部を巡って大きな岩がある難所などを敢えて歩くという修行が僧侶たちによって盛んに行われておりました。弘法大師様も若い頃に四国で厳しい修行を重ねたと言われています。
  弘仁6年(西暦815年)唐から帰って来た弘法大師様は悩める人々を救うために、再び四国を巡り八十八ヶ所の霊場寺院を定めました。
  かつては僧侶のみが行う厳しい修行でしたが、室町~江戸時代には遍路道や宿泊施設が整備され、同行二人を信じ弘法大師様を慕って四国を歩く修行は徐々に庶民の方にも 広がっていきました。これがお遍路さんの始まりです。


「お遍路とは?」

  四国の海や山など自然を肌で感じながら歩くことで自分を見つめ直す。雨や風 に打たれながらも耳を澄ませば仏様や弘法大師様の声はいろんな音に混ざって聞こえてきます。
  歩いている間に負の心がプラスに変わるきっかけが見つかる巡礼がお遍路です。また、そんな厳しい修行であるお遍路を自ら達成することで「家族の健康、先祖供養、家内安全など」を祈願します。


「昔のお遍路」

  江戸時代にお遍路される方は約15000人、その内約1割は無一文だったそうです。今でも宿坊が無料で提供されている札所もあります。
  また、昔からお遍路さんは「お大師さま」と呼ばれ、地元の皆様も私たちの代わりに厳しい修行に取り組んでいるお遍路さんを大事にして来ました。昔は「善根宿」と言い、お遍路さんにお食事を出し、畳の部屋に泊まって頂き、自分たちは板の間に寝ていました。

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